国内起債市場を斬る 下期初特別号:中国恒大集団の経営危機を考える―その2

今回は、前回より少し広い観点から、中国の恒大集団の経営危機問題についてシンプルに考えてみたい。前回も触れたように、この不動産市場最大のプレイヤーの明暗は、中国政府の政策如何に委ねられているのである。特に足元の中国政府は、極端な富裕層を抑制し、国民全体(と言っても、新疆ウィグル地域の住民が念頭に入っているとは思えないし、此処では沿岸主要大都市に居住する漢民族を想定しよう)が共に豊かになる道を目指そうとしている。その中で、巨大企業に対する規制が強化されており、過去に認められていた特権的な立場を富裕層から剥奪される方向にある。従って恒大集団に対し公的資金の注入で経営支援することは考え難く、既に報道が見られているように、同様に不動産バブルに踊った複数の不動産会社が破綻へと連鎖する可能性は高い。

日本での不動産バブルの破裂にも見られたように、巨大不動産会社は金融機関からの借入れを利用して自転車操業的に新規物件を建設し、即売却するサイクルを継続しており、金融機関への影響が生じる場合には、経済全体への影響が生じる可能性は否定できない。そのため、日本では法律を整備し監督を強化する中で、金融機関への公的資金を注入することで、金融システム不安から経済の機能不全へと陥ることを回避したのである。それでも、「失われた三十年」と呼ばれるように、経済の長い停滞は続いた。そもそも中国の経済統計に対する信頼性は必ずしも高くないが、ますます経済の停滞感は強まることだろう。そうは言っても、日本のGDP成長率よりは高い数値を発表することは、既定路線なのかも知れない。

恒大集団の破綻が生じた際に懸念されるのは、仮に金融機関への影響を抑制できたとしても、個人投資家への多大な影響である。この数十年間、中国の経済を回してきたのは、経済の高成長から得られる利益を享受できる個人投資家向けの金融商品であった。お金儲けの大好きな漢民族にとって、共産主義による抑圧からの解放は、その反動も含めて投資から投機による蓄財へと移行するものとなった。株式投資による果実は当然の利益であり、更に、理財商品と呼ばれる様々な投資商品が個人の投資対象となっている。理財商品には様々な形態を取るものがあり一概には定義しづらいが、SPCのようなプラットフォームを活用した資金集めと成功報酬的なリターンの還元等が特徴であり、こうしたシャドーバンキングによる資金調達が中国経済の成長を支えてきたのである。

筆者も二十年程前に中国本土での資産運用を検討したことがあるが、理財商品は高利の魅力的なものであるものの、スキームに登場する関係者が破綻した際の投資家保護とディスクロージャーが十分でなく、安定的な運用対象になり得ないと判断した。恒大集団の経営危機で既に理財商品の損失が発生しているようであり、国民経済への影響は少なからず生じることになろう。既に報道されているように、損失の発生から自殺をほのめかすような投資家も見られており、そもそも、そのような全財産を投機に賭けるような投資姿勢は、国内バブルを見てきた我々サラリーマン投資家には極めて不適切と決めつけてしまう。
お金儲けに血道をあげる中国の民族性は、その歴史的背景と中央政策に帰結するのであろう。歴史的背景とは、投資分散といったリスク管理の原点からとかく逸脱し、また、政府による投資家の保護は、預金保護と異なって、到底期待し難い、という点である。共産主義的なみんなで豊かさを目指す環境の中では、過度な投資で自分だけが豊かさを目指す行為は不適切と評価され、市場の反転局面では、当然の報いを受けることになる。その結果、中国経済は、高い成長率を維持することが難しくなるのであろう。

結局のところ、中国政府がどのような支援策・収拾策を投入するかで、今後の市場や経済全体への影響が大きく異なって来るだろう。過度な公的資金の投入は中国国債の信用力を低下させることになるし、世界国債インデックスへの算入がはじまる中での信用力低下は避けたいはずである。まずは、中国政府の動向を注視しつつ、債券市場は淡々とデフォルトを迎えるしかないのではないか。影響が大きくなって来た場合に世界経済への影響を考慮する必要も考えられるが、それは中国国内での影響や対応が判明した後であり、まだ暫く先のことになるだろう。(本稿終わり)

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